《連載ドクターズ・リレー》2023年2月号 – 【後編】樋口勝嗣先生からフライトサージャンを目指すキミへメッセージ

さまざまな分野で活躍する医師に、お仕事の内容や魅力を語ってもらう連載「ドクターズ・リレー」。子供の科学2023年2月号では、JAXAでフライトサージャンとして働く樋口勝嗣先生に取材。誌面で紹介しきれなかったフライトサージャンになるまでの道のりについて、さらに詳しくお届けします。

ISS長期滞在から帰還した野口宇宙飛行士を見守る樋口先生。©JAXA/NASA

一から学ぶことをいとわないガッツが必要

── 実際にフライトサージャンになるまでに、大変だったことはなんですか。

 もともと私は、関西の病院で何年も勤務しており家族と住む家もあって安定した生活を送っていました。日本でフライトサージャンになると勤務地は茨城県つくば市になり、家を売って40歳を過ぎて初めて関西を出ることになったので、今から振り返れば大冒険をしたな、と感じます。専任フライトサージャンになればアメリカのヒューストンに何年も行くことになります。家族も連れていく場合子供は現地の学校に転校する必要があり、私だけでなく一家全員の環境の変化は大きかったですね。

 ただ、自分がフライトサージャンを目指すにあたって恵まれていたのは、生活環境が大きく変わるけれど、「子供のときからの夢だった宇宙に関わる仕事につきたい」という気持ちを家族が理解して、賛成してくれたことが大きいと思います。

 また、宇宙医学をもともと専門で学んでいる人であればいいのかもしれませんが、ふつうの臨床医からフライトサージャンになるということは、新しいことをまた一から学ばないといけないことであり大変です。

 宇宙医学について本で読んだことがあっても、授業で習ったり仕事でその知識を使ったりすることはなかったため、いわば研修医(医師免許を取り訓練を受けている医師)をもう1回やるような状況になります。それにJAXAという医師とまったく違う文化や組織の中に飛び込むことでもあります。

 つらい研修医の期間をとっくに終え医師として働いていて、今や研修医を教育していた人間が、再び研修医という一番の初心者の立場になる。これは、新しいことを学ぼうとするをやるだけのガッツがあるのかも問われることだと思います。

モスクワ『星の町』でNASAフライトサージャンの同僚と撮影。©️樋口勝嗣

日本とアメリカで授業を受け、審査を受けて初めてISSフライトサージャンに

── フライトサージャンには、どうやって認定されるのでしょうか。

 JAXAに入った後、フライトサージャンになるための研修を受けます。まず日本国内で日本語を使って航空宇宙医学を学ぶのですが、JAXA内部に教育コースがないので外部の機関で学ぶ必要があります。

 自衛隊には航空自衛隊はもちろん、海上自衛隊や陸上自衛隊にもパイロットを診る「航空医官」という医師がいるのですが、この「航空医官」向けの授業を2、3か月ほど一緒に受けられるようになっています。そうしたところで学び、さらに宇宙医学に関する学会で学び、次にアメリカに行きます。

 アメリカでは航空会社だけでなく個人で飛行機に乗る人が多く、飛行機のパイロットの健康管理を行うフライトサージャン(FAA認定資格のAME: Aeromedical Examiner)はたくさんいます。こういった背景から宇宙航空医学コースがある大学がいくつもあります。以前はそこの修士課程で2年間みっちり学んでいたそうですが、最近は夏に行われる1か月の短期授業を受けたり、航空宇宙医学の診察や研究で有名な病院で研修を受けたりしています。

 それから実際に宇宙医学を運用しているNASAのジョンソンスペーセンター(テキサス州ヒューストン)で先輩のJAXAフライトサージャンやNASAのフライトサージャンの元で習ったり、宇宙飛行士に対する訓練などを見せてもらったりしながら、1年ぐらい学びます。こうした研修を受けて、日本に戻ってきて初めてJAXAのフライトサージャンとして認定されます。

 JAXAフライトサージャンはJAXA内部だけの資格で、他の国では有効ではありません。そのため、ISSに搭乗する飛行士を診るフライトサージャンになるには、もうひとつステップが必要です。

 ISSに参加するアメリカのNASA、カナダのCSA、ヨーロッパのESA、ロシアのROSCOSMOS、そして日本のJAXAという5つの宇宙開発局の宇宙医学の関係者が、月に1回集まり、宇宙飛行士が宇宙へ行ける健康状態であることを認定するために会議を行っています。その会議で、ISSに搭乗する宇宙飛行士を診ることができるフライトサージャンかどうかも審査行っています。この審査に合格して初めて、ISSフライトサージャンとして認定されます。

 この資格は法律で決まった資格ではありませんが、いわゆる医師免許などの国家資格よりも珍しいものです。今まで取った人は100人もいませんし、現在持っている人は全員顔見知りであるくらい狭い世界です。JAXAフライトサージャン認定を受けるのはISSフライトサージャンとして認められるためであり、上の会議で認められて初めてフライトサージャンの認定が受けられます。現在のJAXAには、このISSフライトサージャンが私を含め7名います。認定を受けた私たちは今度は新しくISSフライトサージャンになろうとする他の国や日本の医師を審査する立場になります。

直接関係なさそうなことが、役に立っている

── どんな人がフライトサージャンに向いているでしょうか。

 ある1つの分野のスペシャリストになることは、確かにいい面がたくさんあります。しかし、フライトサージャンに関しては、普段みなさんを診ているような医師と同じように、ある程度の知識を全分野にわたって持っていて、基本的な判断ができる総合診療医、そうした目線で宇宙医学を見ていける人が向いていると思います。

 他には、私の経験から考えると、子供のときから好きだったパソコンの知識は持っていてよかったと思っています。NASAのシステムも全部コンピューターの上で動いているので、パソコンが苦手だったらうまくやっていけなかったかもしれません。会議のときに出てきたホームページを後で全部読んで勉強したりしました。コンピューターの知識は仕事をしていく上で非常に役立っています。

 また、重要情報の入ったコンピューターにアクセスするときに使うVPN(仮想プライベートネットワーク)もトラブルが起こりやすいんです。そうしたときに、ある程度の知識を持っていることで解決も早くなります。パソコンの知識自体は、宇宙飛行士に対するフライトサージャンとして役に立つというよりかは、地上要員との間のコミュニケーションをとるときにとても役に立っています。

 アメリカでは昔ケーブルテレビで1時間程のドラマ(日本ではテレビ映画と呼びました)がよく放送されていましたが、その中で宇宙を扱う『スタートレック』というドラマが大ヒットしました。私も子供の頃見ていましたが、NASAでもこのドラマを見て育った人が多く、このドラマのことを知っていると簡単に打ち解けることができました。

 今考えてみると、いろいろなこと、自分の将来の夢や仕事とは直接関係なさそうなことでも、やってみたら後々役に立つんだなと思います。皆さんにも、自分のやりたいことだけに目を向けるのではなく、視野を広く持っていろいろなことに興味持ってもらいたいと思います。

フライトサージャン用のフライトスーツを試着する樋口先生。自身が宇宙に行く夢もあきらめていない。©樋口勝嗣

原口結(ハユマ) 著者の記事一覧

編集者、ライター。児童書、図鑑、学習教材などを中心とした書籍の企画・編集、取材、DTPを行う。子供の科学サイエンスブックスNEXT『科学捜査』、『単位と記号 パーフェクトガイド』(いずれも誠文堂新光社)などを手がける。

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