《連載ドクターズ・リレー》2023年2月号 – 【前編】フライトサージャン 樋口勝嗣先生の仕事内容は?

さまざまな分野で活躍する医師に、お仕事の内容や魅力を語ってもらう連載「ドクターズ・リレー」。子供の科学2023年2月号では、JAXAでフライトサージャンとして働く樋口勝嗣先生に取材。誌面で紹介しきれなかったお仕事の内容について、さらに詳しくお届けします。

モニターで各種データをチェックしながら、金井宇宙飛行士の船外活動を見守る樋口医師。©️JAXA/NASA

ときには宇宙のことを学びながら、宇宙飛行士の健康を守る

── 普段はどんなことをされているのでしょうか。

 基本的には宇宙飛行士がいつでも飛行任務につけるように、1年に1回、学校や会社で皆さんが健康診断を受けるように、宇宙飛行士が宇宙飛行に適しているかどうかを調べる健康検査を行います。

 宇宙飛行士の選抜の際に、医学的にも能力的にも宇宙飛行士に適しているかを調べますが、選ばれたら終わりというわけではありません。逆に、選抜時にすごくやせていて、そこから10年経って太ったからそれ以降は絶対飛んだらダメだとか、そういったものでもありません。毎年毎年宇宙へ飛べる体調でいられるよう常に飛行士が自分を磨くのを手伝いする必要があります。

 例えば検査で問題が見つかると、その点を定期的に診察したり、アドバイスをしたりしてよくなるよう努めます。太りすぎていたら、最近お酒を飲みすぎてないか、あまり運動していないかなどを聞いて、ときには厳しく指導します。 

 こういった「この状態なら宇宙へ行っても大丈夫」という基準は絶対的なものでなく、ここはもう少し緩めてもいいのではないか、とか、逆に最近世の中で新しい病気が見つかり、その病気の人が宇宙飛行すると寿命が縮んでしまうことがわかれば、その病気の人を飛行士として選んではいけない、といったルールを変える必要があります。また宇宙での医学機器も日々進歩しており、地上で新しくいい機械がつくられた場合、宇宙でもそちらの方がいい性能を示すのか、宇宙では使えないものであるのか、といったことも検討する必要があります。飛行士を診るだけでなく、診るための手段を日々新しくしていくのもフライトサージャンの仕事になります。

── 1人の宇宙飛行士につく「専任フライトサージャン」はどのようなことをしますか?

 宇宙飛行士は、実際に宇宙に飛ぶ2〜3年前に、そのフライトに参加する宇宙飛行士として任命されます。ミッションが決まると、そこに向かって、いろいろなことが動き出します。宇宙に行く前に、身長・体重・血圧が大丈夫か、かかりやすい病気があるかなどを調べたりします。また、打ち上げ前のある時期には、必ずMRI検査(強力な磁力を使って、体内の臓器や血管を撮影する検査)を受けないといけないとか、何か月前には血液検査をしないといけないとか、さまざまな規定があります。スケジュールに従ってたくさんの医学検査を行うのですが、専任フライトサージャンは担当する宇宙飛行士の医学検査に立ち会わないといけません。

 また、任命されたミッションの中で、医学実験をやることになれば、その実験に対する訓練が行われます。過去に国際宇宙ステーション(ISS)やそれ以前の宇宙船に搭乗した経験があって、過去に訓練を受けていたとしても、10年ぐらい経っていると機器や道具が変わっていたり、操作を忘れてしまったりするので、もう1度訓練を受けないといけません。軌道上の医学機器やその使い方は地上の物と比べ少しアレンジされているので、専任フライトサージャンはこの訓練にも立ち合いを行い、その違いを(ときには自分で体験して)学ぶ必要があります。

 こいった訓練の1つに採血の訓練があります。採血は医療行為のため、地上では医師や看護師が行います。しかしISS内にいる人数は限られており、搭乗する宇宙飛行士に医学関係の人がいなくても、誰かが医師の役をやらないといけません。この医師役をする搭乗員(クルー)をクルー・メディカル・オフィサー(CMO)と言います。医師出身の宇宙飛行士がいたらその人がCMOに任命されますが、クルーの中に医師出身の人がいない場合、採血などをしたことがない人でも、採血ができるように訓練しないといけないんです。

 他にも、超音波を使った機械で目の検査をすることがあるのですが、その検査では、ある人がほかの人を測るので、2人でお互いを検査することになり、検査の受け方を学ぶだけでなく、検査機器の使い方も習って他の人を検査する方法を学ぶ必要があります。この検査機器の使い方1つとっても、微少重力環境では、機器が浮かないようにする必要があるなど地上と感覚が変わってきます。また、検査結果をハードディスクに保存するにはどう機械を操作すればいいかなど、技術的なことも習います。

 私たちフライトサージャンは、医師として検査機器の使い方を知っていても、軌道上の微小重力環境でその機器にどんなトラブルが起きやすいかはわかりません。宇宙飛行士と一緒に授業を受けることで、軌道上で検査機器を使うときにどんな問題があるかを、ある程度学ぶことができます。

 そして宇宙飛行士が行う実験のほかに、ISSで飛行士自身が被験者になる医学実験の訓練もあります。クルーが被験者になる実験については、宇宙、つまりISSの微小重力環境でデータを取るだけではなく、事前に地上で取った検査データと、ISSから帰還した後に取った検査データと比べて、どう変化したかという、3点の情報を得る必要があります。そのため、飛行前の地上にいる段階から検査が始まります。これら地上で行う検査にも立ち合う必要があります。

 そもそも、フライトサージャンになる前の人は、私も含めて、宇宙や微小重力環境について詳しく知らない人がほとんどです。宇宙に関しては素人であるところから、宇宙飛行士がやることを学びつつ、実際の運用上の独特の決まりなども学ばないといけません。理想をいえば、宇宙飛行士の専任フライトサージャンになるのは、過去のフライトを何度も経験したフライトサージャンのほうがいいのもしれませんが、限られた人数の中ではそうできないこともしばしばあります。

ミッションを止める権限も持つフライトサージャン

── ミッション中には、どんなことをされているのでしょうか。 

 通常、フライトサージャンは、ISSの船内環境を見るモニタリングの装置をミッションコントロールセンターで見ています。ただ、そこが故障や停電したときなどのために、 インターネット回線を利用したネットワーク(VPN:仮想プライベートネットワーク)を使って外部のパソコンからも見ることができるようになっています。

 またISS船内を移すビデオカメラや、宇宙飛行士とのメール、週1回宇宙飛行士と専任フライトサージャンだけで健康に関する話をするPMC(Private Medical Conference)というビデオ通信で飛行士の健康問題がないかを見て、必要があれば対処法を指示します。

 宇宙飛行士の仕事量が多く過労になると体調が悪化したり、注意力が低下したり事故の原因にもなります。宇宙飛行士の予定は分刻みでつくられていて、そのスケジュールもフライトサージャンにはわかるようになっています。クルーが実験などを行う中で、予想と異なりうまくいかずに予定の枠内に終わらなく勤務時間が延びたら、「休み時間が不足しないか」とか、「次の日にも予定された作業がたくさん入っているけれど、この1週間全体で見ても労働時間が多すぎるのではないか」といったことがチェックできます。そうして、PMCなど他の手段で手に入れた情報を加味して宇宙飛行士の健康状態を判断し、必要なら追加の1日休みをとれるようフライトディレクタ(運用責任者)にかけあうこともあります。

 こうした健康管理の仕事は他にもあります。NASAのクルーについては、NASAのフライトサージャンが見ていますが、ミッションの中でも多忙な時期になり飛行士全員の作業が溜まって大変になってきているというのが感じられたら、各国のフライトサージャン同士で会議をして、それぞれの飛行士の労働時間や健康状態がどうかなどを話し合い、合同でフライトディレクタにミッション中の勤務時間の調整をかけあうこともあります。

 究極的には、フライトサージャンは、そのミッションを止められる権限もあります。幸いにも今まで起こってはいませんが、クルーに医学的な問題が起こってそのまま軌道上に滞在するのが危険だと判断されると、私たちフライトサージャンの権限でクルーを緊急帰還させることを検討します。

 フライトサージャンがミッションを中止することを決める可能性は打ち上げなど重要なイベントのときにもあることです。映画『アポロ13号』にも出てきましたが、打ち上げ時に「ゴー(Go)/ノーゴー(No Go)」ポールというものがあり、各部署ごとに、打ち上げ準備が大丈夫であれば「ゴー」、まだ準備ができていないときは「ノーゴー」といって最終確認をします。その中で、フライトサージャンは医学チームとして、宇宙飛行士の医学的な最終確認を行い「ゴー/ノーゴー」の判定を出して、打ち上げを決行するか中止するかを投票します。全部署が「ゴー」と言わず1つでも「ノーゴー」と言うと打ち上げはストップされます。

各国のフライトサージャンが集まるミーティング。©️JAXA/NASA

── ミッション中のケガや病気に備える必要があるのですね。

 ISSにいる宇宙飛行士が健康なのは当たり前のように見えますが、そこには私たちフライトサージャンのように、健康が悪化しないかどうか常に見守っている人が影にいます。またISSでケガや病気が発生したときに備え、事前にそういった場合にどうすればいいか手順を考え決めておかないといけません。こういったことを考えるのもフライトサージャンの仕事です。

 軌道上で使える検査機器や治療器具は限られています。ISS内部は微小重力空間が異常な環境であるのと同時に、医療資源が限られているという特殊な環境なんです。

 そして命に関わることが起きたとき、地上であれば救急車や自家用車で病院や医療に緊急搬送できますが、ISSからはそんなに簡単には移動できません。宇宙船に乗って地上へ降りてくるしかないんです。帰還するにしても、「今日帰る」と地上に知らせればすぐ帰れるわけではありません。地上側も帰還カプセルが降りるところに回収に行くための飛行機や船などを用意しなくてはいけませんし、帰還したところからクルーを治療する場所まで運ぶ船や飛行機も用意したり、受け入れ先の病院を確保したりする必要があります。

 打ち上げや帰還の際に緊急脱出装置が作動して不時着するとか、着陸地点がずれて全然違う場所まで流されたときのために、アメリカやロシアでは空軍や宇宙軍が参加して、緊急時に使う飛行機が用意され、帰還した宇宙飛行士を回収するための部隊が待機しています。1つの宇宙船が返ってくるときにも、何千という人が動いていて、そうした巨大なシステムを問題なく動かすために、医学的な指揮官としてフライトサージャンが働きます。

 打ち上げから帰還まで、ミッション全体を通して宇宙飛行士、とくに自国の宇宙飛行士の健康に対して私たちフライトサージャンは大きな責任を負っています。【後編へつづく】

原口結(ハユマ) 著者の記事一覧

編集者、ライター。児童書、図鑑、学習教材などを中心とした書籍の企画・編集、取材、DTPを行う。子供の科学サイエンスブックスNEXT『科学捜査』、『単位と記号 パーフェクトガイド』(いずれも誠文堂新光社)などを手がける。

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