1924(大正13)年の創刊から100年間、科学への好奇心あふれる子供たちを応援し続けてきた雑誌『子供の科学』。誌面に載っている最先端の科学の話や、驚きの実験、おもしろい仕掛けの工作などにワクワクして育った読者から、ノーベル賞受賞者をはじめとした大発見をする研究者、画期的な発明をする開発者たちが生まれました。 そんな『子供の科学』を読んで育った読者からメッセージをいただいています。
──『子供の科学』はいつごろ読まれていましたか? また、出会いの経緯を教えてください。
小学4年生ごろから中学3年生まで毎号買っていました。3つ年上の従兄が愛読していて、遊びにいくと広げた『子科』を見ながら、ラグ板にトランジスターや抵抗などをハンダ付けしているのにあこがれました。工作の前にパーツ屋に行って部品を揃えるところからついていきましたが、ワクワクしました。ちなみに従兄はその後、工学部の大学教員となりました。
実は、88歳になる私の母も、中高生のときに兄(私からすれば伯父)のすすめで定期購読していた読者だったのです。ですから、私が毎号購入したいといったときには後押ししてくれました。
──『子供の科学』のどんな特集に興味があったか、思い出に残っている記事などがあれば教えてください。
一石ラジオや電子ブザーなどの電子工作と、紙飛行機ですね。紙飛行機は別冊(『よく飛ぶ紙飛行機』シリーズ)も買ってたくさん飛ばしました。割り箸でカタパルトもつくりましたが、これは記事を見てつくったような気がします。
──子供時代に育んだ科学への興味は現在のお仕事や活動、考え方等につながっていますか? どんなつながりや影響があるか教えてください。
中学生のときに、『子科』の記事を読みながら夏休みの課題を仕上げて提出したところ、理科の先生の目に留まり、読売新聞社主催の「学生科学賞」に応募しようと薦めて下さいまして、大幅に書き直して提出したところ、県大会で優秀賞をいただきました。これが、はじめて書いたレポートになりました。現在の論文を書く仕事につながるといえば、いえるかもしれません。
ただし、法学部の教員となったので、科学は科学でも社会科学の仕事に就きました。私の専門は情報法です。もっぱら個人情報保護法やプライバシーの権利を研究しています。コンピュータやAI、遺伝子などの法的問題も扱うので、法学の中でも、サイエンスに近いところはあるかもしれません。また、新潟大学で教えるかたわら6年間、理化学研究所の革新知能統合研究センター(AIP)研究員も兼ねていたので、ここで出会った先生からはいろいろとAIのお話を伺う機会はありました。こういった分野の法律問題を扱う興味のベースに『子科』があったのかなとも思います。
──『子供の科学』100周年に寄せてコメントをお願いします。
創刊100周年、おめでとうございます。数年前に90歳で亡くなった叔父や、先にも触れましたが、米寿の母も愛読者でしたから、100年と伺って驚きましたが納得です。叔父は気象台に勤め、母は養護教員をしておりました。従兄は工学、従妹は農学と、それぞれ大学の研究者をしています。振り返ってみると、親戚一同で『子科』のお世話になって理系の仕事に就いたことになります。今後三世代、四世代、五世代と読者が続き、ニッポンの科学の子が育まれていくのだろうと思います。『子科』は、今後はネットなどとも融合し先端の科学を体現するメディアになっていくのかもしれません。さらに100年たっても変わらずに紙飛行機が続いていることを想像しても楽しい感じがします。もっともっとワクワクできる『子科』が、さらに子どもの心に届くことを期待しています。
──今の『子供の科学』の読者たちにメッセージをお願いします。
多様なメディアを通じて、科学に関する情報はますます増えていくでしょうが、裏付けのない情報や嘘の情報、いわゆる「エセ科学」との接点も同時に増えてしまうのだと思います。それだけに、今後は、ますます正しい情報とその理解への導き手が重要になってくるのだろうと思います。そのひとつが『子科』でもあるのですが、まずはワクワクすること、そして手を動かす、つくってみる、動くことを確認してみる。動く理屈を読んで考えてみると、そうした楽しい経験が、いいものを見極める力になっていくかもしれません。
やばい情報とやばい話をする人にピンと来るセンスをぜひ身につけていただければと思います。