1924(大正13)年の創刊から100年間、科学への好奇心あふれる子供たちを応援し続けてきた雑誌『子供の科学』。誌面に載っている最先端の科学の話や、驚きの実験、おもしろい仕掛けの工作などにワクワクして育った読者から、ノーベル賞受賞者をはじめとした大発見をする研究者、画期的な発明をする開発者たちが生まれました。 そんな『子供の科学』を読んで育った読者からメッセージをいただいています。
松浦陽次郎(まつうら・ようじろう)。1960年生まれ。国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林総合研究所 研究専門員(2025年3月まで)。専門は、森林生態学。研究テーマは、森林生態系の物質循環について。特に、永久凍土の有無と森林生態系の構造比較を行っている。
──『子供の科学』はいつごろ読まれていましたか? また、出会いの経緯を教えてください。
小学校4年生(1969年)ぐらいから、中学生の兄が買ってきたものを読んでいました。
──『子供の科学』のどんな特集に興味があったか、思い出に残っている記事などがあれば教えてください。
当時は、ラジオ製作記事と天文現象記事に興味がありました。
ラジオ関連では、泉 弘志、奥沢清吉、野川清三郎などの諸氏の記事を食い入るように読みました。たしか、泉さんの記事でゲルマニウムラジオをはじめてつくったんだと思います。電池なしで聴けるラジオに感激しました。日曜日に小学生が一人で秋葉原のラジオストアに行って、バリコンやダイオードを買い求め、ついでに神田の錦町や美土代町界隈に足を伸ばして、誠文堂新光社とか科学教材社の社屋ビル*を確認しました。
*当時、『子供の科学』を発行している誠文堂新光社および科学キットを販売する科学教材社は神田錦町にあった。
『子供の科学』のアマチュア無線関係の記事も楽しみでした。その影響で、小6の時にアマチュア無線の電話級を受けました。落ちましたが、蒲田の日本電子工学院(当時)で試験を受けたときのことは記憶に残ってます。あのころ受かっていれば、コールサイン「JR1×××」がもらえたかもしれません。
『初歩のラジオ』にステップアップする予定でしたが、中学生時代から体育会系にはまり、『子供の科学』や電子工作とは縁が切れてしまいました。
──子供時代に育んだ科学への興味は現在のお仕事や活動、考え方等につながっていますか? どんなつながりや影響があるか教えてください。
進んだ進路は物理・化学・工学系ではなく、フィールド系の森林生態学でした。『子供の科学』で読んだ記事でゲルマニウムラジオをつくったときのように、一段ずつ積み上げて完成させるワクワク感は、実際の研究の現場で味わうことと同じです。ワクワクする感性を小学生のころに知ったことは、大きく影響していると思います。
後日談ですが、1999年からアラスカの内陸部で森林と永久凍土の調査をするようになり、アラスカ大学の赤祖父俊一先生と四半世紀に及ぶおつきあいがあります(今年も9月に現地に行きます)。先生の著作に、子供のころ買ってもらった『子供の科学』を読んでいたエピソードが書かれていました。なにか誠文堂新光社との縁を感じました。
──『子供の科学』100周年に寄せてコメントをお願いします。
科学の醍醐味は、「答え」を見つけることよりも、ワクワクする「問い」を探すことであることを、『子供の科学』を通じてこれからも伝え続けてください。
──今の『子供の科学』の読者たちにメッセージをお願いします。
やってみないとわからないことがたくさんあります。好奇心をいつももって、知りたいことの手がかりを『子供の科学』で見つけてください。
※肩書等は2024年8月現在のものです。