去る2024年4月7日(日)、東京都武蔵野市にある都立武蔵野中央公園で、昨年11月15日に97歳で亡くなられた二宮康明先生を偲ぶ「二宮康明先生お別れの会」が催されました。当日は青空の下、公園の桜が見事に咲き誇り、素晴らしい「紙飛行機日和」となりました。
武蔵野中央公園は、二宮先生が紙飛行機のテスト飛行をしていた公園です。先生は新しい紙飛行機を設計すると、この公園の「原っぱ広場」で納得がいくまで何度もテスト飛行を繰り返し、バランスや重心を改良して紙飛行機を完成させました。先生が設計された紙飛行機は、じつに3000機以上。こうした二宮先生の活動から、この公園はいつしか「紙飛行機の聖地」とも呼ばれるようになりました。
午後1時、「お別れの会」が始まりました。まず、日本紙飛行機協会の荒木事務局長の司会で二宮先生に黙祷を捧げます。
次に『子供の科学』編集長のツッティーと、武蔵野中央公園をベースに紙飛行機を楽しんでいる倶楽部原っぱ代表の風祭さんが、それぞれに二宮先生の思い出を語りました。
二宮先生の紙飛行機が2017年から常設展示されている仙台市科学館からは、指導主事の宮崎さんが来られて、挨拶をされました。
最後に、倶楽部原っぱの中村さんが、二宮先生について書かれた朝日新聞の「天声人語」(2023年11月20日)を朗読されました。
これで、「お別れの会」はいったん閉会したのですが、参加したみなさんは手に飛行機を持っています。じつは「お別れの会」では、受付で「おえかきプレーン」が配られていました。これは垂直尾翼が下向きについたポリスチレン製の機体で、その名の通り、お絵かきができるように色や模様がない真っ白な飛行機です。これを二宮先生への供養として、大空に向かって飛ばそうというのです。参加者は広い公園に散らばり、おえかきプレーンを思い思いに飛ばし、二宮先生を偲んでいました。
こうして自由解散となった「お別れの会」ですが、このあと『子供の科学』が主催する紙飛行機教室が始まりました。教室では、倶楽部原っぱの中村さんが先生となり「ウイングスプレーン・アルファ」をつくります。もちろん、この機体も二宮先生が設計されたもの。ポリスチレン製のグライダーで、折り紙飛行機のようなデザイン。つくるのは簡単なのに、ゴムカタパルトで大空に飛ばすと驚くほどよく飛ぶ機体です。
それにしても、こんなによく飛ぶ飛行機を設計した二宮先生とはどんな方だったのでしょうか。ここで、改めて二宮先生の足跡を振り返ってみましょう。
二宮先生は、1926年に宮城県仙台市で生まれます。父親から飛行機に関する本や雑誌を買い与えられたことから飛行機が好きになり、小学校時代には紙飛行機を自作して友達にプレゼントするほどでした。中学生になると航空研究会に所属し、本物のグライダーを使った訓練も行います。
二宮先生が高校生だった1945年、日本は第二次世界大戦で敗戦し、飛行機の製造をはじめ、研究、開発、教育など、飛行機に関する一切の業務が禁止されてしまいます。飛行機のエンジニアになることを夢見ていた二宮先生ですが、大学の航空学科が廃止されてしまったため断念せざるをえませんでした。
1947年、「電波も空を飛べるから」という理由から、東北大学通信工学科に進学。卒業後は日本電信電話公社(現在のNTT東日本)の電気通信研究所に勤務し、マイクロウェーブを研究していました。じつは、この勤務地が武蔵野中央公園のすぐそばで、二宮先生は昼休みになると、紙飛行機を飛ばしに公園に来ていたそうです。
1967年、アメリカのサンフランシスコで開催された「第一回国際紙飛行機競技会」に出場し、自分で設計した機体で滞空時間と飛行距離の2部門でグランプリを獲得します。当時の『子供の科学』の編集部は、すぐに二宮先生に連載を依頼。1967年9月号から、二宮先生が設計した紙飛行機の型紙が、巻末の付録としてつくようになりました。飛行性能と美しさを兼ね備えた機体はたちまち読者を魅了し、その後、49年間続く人気連載となりました。連載がまとめられた「切り抜く本」シリーズは、今でも人気のシリーズで、売上累計は500万部を超えます。
1984年、日本紙飛行機協会を設立。1993年からは、紙飛行機の全国大会を開催しています。現在は、「二宮康明杯全日本紙飛行機選手権」として開催され、2024年で第29回を迎えることになりました。
2016年、49年間続いてきた連載が終了。このときのエピソードは、ツッティーが「お別れの会」で話していた通りです。紙飛行機に情熱を傾けていた二宮先生らしいエピソードですね。
では、話を「紙飛行機教室」に戻しましょう。
参加者は、先生の話を聞きながら制作に集中。いくつかの注意点に気をつけながら組み立てていきます。みんな同じ機体をつくっているので、翼には自分の名前を書きました。
制作時間はおよそ20分。つくり終わったら、原っぱ広場で実際に飛ばします。胴体のフックにゴムをかけ、グッと引っぱります。機首を空に向けて手を離すと、機体は一気に大空へ! うまく調整ができていれば30秒以上も飛び続けることができる機体ですが、最初はなかなかうまくいきません。でも大丈夫! ここは紙飛行機の聖地。“紙飛行機名人”たちがたくさんいます。最初はあまり飛ばなかった機体も、名人たちに調整をしてもらうと驚くように飛ぶようになり、みんな笑顔がはじけます!
いくら設計がよくても、ただつくるだけでは“よく飛ぶ紙飛行機”にはなりません。二宮先生は、「つくるのが3割、調整が7割」とおっしゃっていました。ていねいにつくり、微調整を繰り返すことで、紙飛行機は少しずつ飛ぶようになります。もちろん、飛ばす日の天気や風向きなど、気象条件も大切です。こうしたことを考えながら試行錯誤して紙飛行機をつくり、飛ばすことは、「科学そのもの」だといえそうです。
しばらく自由に飛ばしたあとは、みんなで集まって記念撮影。最後は合図に合わせて、みんなで一斉に飛行機を大空に飛ばしました。その様子は記事冒頭の動画でご覧ください。
この日、集まった子の中には、初めて紙飛行機をつくる子や、二宮先生を知らない子もいました。でも、真剣に紙飛行機をつくり、大空に飛ばしている子たちの表情は、みんなとっても明るく楽しそう! 世代を超えて、いつまでも愛される二宮先生の紙飛行機は、これからも大空を飛び続けます。
二宮康明先生の紙飛行機を飛ばしてみたい方は、以下より先生の切り抜く本シリーズをお買い求めください。
https://www.seibundo-shinkosha.net/series/paper_plane_collection/
(写真/青栁敏史)
文