1924(大正13)年の創刊から100年間、科学への好奇心あふれる子供たちを応援し続けてきた雑誌『子供の科学』。誌面に載っている最先端の科学の話や、驚きの実験、おもしろい仕掛けの工作などにワクワクして育った読者から、ノーベル賞受賞者をはじめとした大発見をする研究者、画期的な発明をする開発者たちが生まれました。 そんな『子供の科学』を読んで育った読者へのインタビュー企画。子供時代のお話や、今の読者の子供たちへのメッセージなどをいただいています。
実は『子供の科学』編集部も仕事の管理に使っている、クラウド上のグループウェアサービス「サイボウズ」。子供たちにとっては、「キントーン」などのTVコマーシャルで社名を聞いたことがあるかもしれませんね。チームで仕事をするときに、とっても便利なソフトウェアを開発しているサイボウズの創業者・青野慶久さんに『子供の科学』を読んで育った子供時代のお話を聞きました。
(青野さんが読んでいたころの『子供の科学』を前に)
うわ~、この号、1983年1、2月号ですね、すごく覚えています。「2003年未来の生活」というテーマで2号にわたって20年後の未来が特集されていたのですが、見てください。「在宅勤務」、「自宅授業」などが描かれていて、ビデオ会議も紹介されています。「こうやって世界が進化していくんだ!」とワクワクしながら読みましたね。あのとき読んだ『子供の科学』の未来予測のイメージがどこまで実現しているんだろう? という視点で、もう1回読み返したかったんですよ。こうして見ると、インターネットや携帯電話は予想を超えた進歩を遂げていますね。
──記事には「自宅のコンピューターと会社の親コンピューターが接続され、自宅にいながら会社の仕事をするといったことが可能になるでしょう」とあります。これを読んでいた青野少年が、そのしくみをつくる人になって、こうしてインタビューに答えていただいているわけですね。『子供の科学』を読み始めたきっかけは何だったのでしょう?
兄が読んでいて、僕も一緒に読み始めました。兄はハンダ付けが得意で、電子工作が上手かったんです。僕も『子供の科学』の工作記事を見ながらやってみたのですが、不器用でハンダ付けが上手くできないんですよ。でも「ぼくの発明きみの工夫」のコーナーで発明アイデアを書いて応募するのは、不器用でもできるから好きでした。いろいろなアイデアを編集部に送って、入選して賞品をもらったこともあります。「市村発明コンテスト」にも参加して、佳作に選ばれたときはうれしかったですね。
──発明少年だったんですね! 他にはどんな記事が印象に残っていますか?
小学生のとき、付録についていた二宮康明先生の紙飛行機をよくつくって飛ばしました。二宮先生の紙飛行機は、父が大好きだったんです。紙飛行機集の本も家にいっぱいあって、父は本についている型紙は切り抜かず保存して、ケント紙に写して何度もつくって飛ばしていました。とにかくそれがめっちゃ飛ぶんです! それを見て、僕もやりたくなって、家族でつくって飛ばしていました。
愛媛の今治の中でも山奥の田舎に住んでいたのですが、青野兄弟が学校で紙飛行機を飛ばすと、他の子たちもみんなやりたくなるわけです。それがきっかけでみんな二宮先生の紙飛行機の本を買い始めて、地元でブームになりまして、ついに全校生徒で紙飛行機大会を開催することになったんですよ。全校生徒といっても田舎なので十数人ですけどね(笑)。
──大会の結果はどうだったんですか?
兄は距離部門、私は滞空時間部門で優勝しました! 青野兄弟が『子供の科学』を見てやり始めたことが、地元で流行るというのは結構ありましたよ。田宮模型の戦車のプラモデルも、『子供の科学』の広告で見て買ったら、他の子も欲しがってブームになりました。
──インターネットが使えない時代、『子供の科学』が最新トレンドの発信源だったんですね。
この1983年4月号「パソコンにアタック!」はとても印象に残っています。この特集で紹介されている松下の「JR-200」、NECの「PC-6001」、トミーの「ぴゅう太」などが出始めたころ。この誌面を見ながら「パソコンってどんなものなんだろう?」と興味を持ちました。
『子供の科学』には、自分でプログラムを書いてみるという記事がたくさん出てきたのですが、僕はパソコンを持っていなかったので、山から自転車で街の電器屋さんまで降りて行って、店頭に飾ってあるパソコンを使って、記事に載っているプログラムを打ち込んでいましたね。プログラムが動いたときには感動しました。お店の人もパソコンを置いてはいるものの、当時はそんなに一般に売れるものじゃなかったので大目に見てくれていましたよ(笑)。
──コンピューターとの出会いも『子供の科学』だったんですね!
『子供の科学』に載っている工作はとにかくいっぱいつくったのですが、本当に不器用で、全然イメージ通りのものができないんですよ。ものづくり魂は強いのに、どうしても上手くつくれないというギャップが悔しかった。でもコンピューターのプログラムは不器用でも関係ないんです。動かなくても入力ミスを見つけて直せば、必ず思い通りに動くというのが、僕がパソコンのプログラミングにハマった理由です。
どうしてもパソコンが欲しくて、ついに中2の終わりに、ためたお小遣いでパソコンを購入しました。ここで『子供の科学』を卒業して、パソコン専門誌を買うようになり、今もその道を突き進んでいます。
──『子供の科学』が青野さんの道を見つけるきっかけになったわけですね。
『子供の科学』には工作や実験、生き物、宇宙、テクノロジーといろいろなことが詰まっています。僕は、生き物にはあまり興味がわかず、発明、工作、そしてコンピューターが一番好きだということに『子供の科学』を通して気づくことができました。ぜひ今の子供たちも、『子供の科学』で自分の好きなことに出会ったら、それを大切にしてほしいと思いますね。
──貴重なお話をいただき、ありがとうございました!
(撮影/尾山翔哉)
1924(大正13)年に創刊された小中学生向けの科学誌『子供の科学』は、2024年で100周年を迎えます。100周年イヤーとなる2024年には、子供向けの企画はもちろん、100年間のすべての読者と一緒に盛り上がれるコンテンツやイベント、『子供の科学』とともに歩んできたパートナー企業とコラボレーションした企画など、100周年を記念したさまざまなプロジェクトを企画しています。
『子供の科学』では100年の節目を迎えるにあたり、科学技術の発展に貢献し、未来をもっとおもしろくするために、好きなことを探究して、チャレンジする子供たちをサポートする「KIDS STARTUP PROJECT(キッズスタートアッププロジェクト)」を立ち上げます。そのメインプロジェクトとなるのが、「好き」をトコトン究める次世代教育プログラム「小中学生トコトンチャレンジ2024」です。
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