体の中には、ふしぎがいっぱい! この連載では、自分の体の中のいろいろな部分をめぐる旅の案内をしていきます。人体の“地図”を手に、一つひとつの部分の役割を知っていけば、もっと自分の体、そしてまわりの人の体を大切にする気持ちがわいてくるでしょう。
今日のお話のテーマは「命
」です。
命はどこにありますか?
あなたの「命」は体のどこにありますか? 指で示してみましょう。
そうですね、命の場所って、わからないよね。あえていうなら、体全部が命でしょうか。
さて、あなたは命について考えたことがありますか? だいたい3歳くらいから記憶がはじまって今こうしてあなたがここにいて、あなたであり続けてきた。
あなたはずっと呼吸をして、ご飯を食べて、ウンチやオシッコをしてきた。あなたはずっと、おうちの人やお友だちと一緒に過ごしてきた。そういう当たり前の毎日を過ごせてきたのは、あなたに命があるからです。
命って一体なんでしょう
では命って一体何でしょうか。
医学には、生命徴候という「命」を含んだむずかしい用語があります。「生命=生きている命」、「徴候=しるし」という意味です。その生命徴候は、体温、血圧、心拍、呼吸、意識状態などいくつか見るポイントがあって、別名「バイタルサイン」といいます。これらがちゃんと正常であることが生きていくうえで絶対必要な条件なので、バイタルサインは命がある条件ともいえますね。
命=臓器や細胞が生きていること
命は、今まで勉強してきた体のすべてがきちんと機能している、まさにその状態です。体のほとんどは細胞でできているから、細胞が生きていることが体の生きていくための絶対条件です。だから命があり続けるには細胞がしっかり生きて、機能しないといけない。すると、もしもどこかの臓器や細胞が動かなくなったら、命はそれ以上続くことが難しくなってしまうでしょう。
細胞や臓器が動けなくなる原因は、病気やケガ、年齢、毒におかされるなどいろいろあります。もちろん臓器や細胞は、ちょっとくらいのケガならばもとに戻る機能(修復機能)があるから大丈夫でしょう。でも、ちょっとではなく、大きなダメージが加わると臓器が動かなくなる。すると、命に影響が出てしまうかもしれない。
たった一度きりの人生
この命って、普段私たちは意識しないことだけど、どんなことがあっても一度きり。もし命がなくなってしまえば、その人はもうこの世にいることはできない。つなり、亡くなるということ。これを「掛け替えのない」といいます。
だからこそ、たった一度きりの人生、すなわち命を大切にしないといけない。
人間だけでなく、すべての動物は自分の身の危険を感じたら、避ける行動をとる。みんな命を全力で守ろうとする。
命は永遠に続かない
けれど、いつかは年をとってもうこれ以上臓器や細胞が動かないという日が、必ずくる。年を取っていなくても、原因がわからぬまま若くして臓器が弱まっていく病気もたくさんある。すると、命というのは、人によって長い命もあれば、短い命もある。いつまでの命なのかは誰にもわからない。だからこそ、あなたは一日一日を大切に、そして周りの人にも親切な気持ちで接しないといけない。あなたも周りの人も命の終わりというのは待ってくれないのだから。
どんな命も必ず、終わりがある。悲しくさびしいことだけどね。
命の儚きことを歌う古の人の歌
昔の人はそんな命の儚いことを歌にしました。儚い命、これを「無常」といいます。無常というのは、「常のないこと」つまり「人生のはかないこと、もののあはれ、人の死」を意味します。この儚い命を思う古の人の歌を詠んでみましょう。
「世の中の はかなきことを 見る頃は 寝なくに夢の 心地こそすれ (盛明親王)」
(この世の中が無常であることをまのあたりに見るこのごろは、悲しい夢を見ているようだ)
「あるはなく なきは数そふ 世の中に あはれいづれの 日まで嘆かむ (小野小町)」
(生きている人は亡くなり、亡くなる人は数を増すばかりの無常なこの世の中を思うと、ああ私はいつまで嘆きつづけるのだろうか)
「暮れぬまの 身をば思はで 人の世の あはれを知るぞ かつははかなき (紫式部)」
(まだ人生の日暮れを迎えない無常な存在の私にとって、人の死の悲しみを知るというのもはかないことです)
「散るをこそ あはれと見しか 梅のはな 花やことしは 人をしのばむ (小大君)」
(これまでは人が梅の花の散るのを見てはあわれと思っていたが、今年は逆に梅の花が亡き人を偲んでいるかのようだ)
「世の中を 思へばなべて 散る花の わが身をさても いづちかもせむ (西行法師)」
(世の中のことわり(ものごとの移り変わりや、生まれたものは必ず滅びさってしまうこと)を思うと、すべて散ってゆく花のようである。そうしたはかないわが身(自分の心と体)をどこへやればいいのだろう)
いかがでしたか?
昔も今も変わらない、人の命の“掛け替えのなさ、無常、儚さ”を思う気持ち。だからこそ私たちは、今ここに自分がいるこの一瞬に心からの感謝と情熱を注ぎつつ、周りの人たちとともに無駄にすることなく生きていくことが大切だと思いませんか?
命を粗末にしてはいけない
ところが今、世界に目を向けると、あちらこちらで命を懸けた人間同士の争いが後を絶ちません。長い歴史の中でも、絶え間なく争いごとが続いてきました。悲しいことに、人を傷つけたり、一瞬のうちに命を奪ってしまったりすることだってあるのです。一度きりの、掛け替えのない、儚い命の“尊さ”を思うと、これは本当に悲しいことです。決して人が人の命を終わらせることなんてあってはいけません。もちろん自分で自分の命を終わらせることがあってもいけません。あなたがこの世に、いや、この宇宙にあるたった1つの地球上に生まれてきたことは、疑いのない奇跡なのですから。
すべての生き物には命がある
最後に。あなたに命があるように、すべての生き物にも命があるのです。あなたは気付いているでしょうか? すべての食べ物は、実は生き物だということを。あなたはそんな生き物を食べて、そのおかげで今日まで生きてこれたのです。「いただきます」は、その生き物に対し「生かせていただきます」という感謝の意味が込められた言葉です。ですから、あなたの生(生きること)を支えてくれる命ある生き物たちにも感謝をしなければいけません。
いかがでしたか? あなたの命そしてすべての生物の命は貴く、掛け替えのないものだということがわかりましか?
一度切りの人生、たった一つの自分の命、大切にしましょうね。
文
(イラスト/齊藤恵)
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