毎週金曜日更新●連載《偉人さん、いらっしゃ~い‼》第27回 藤岡市助(プレミアム会員以外も読めるスペシャル回!)

偉人
いじん
さん、いらっしゃ~い‼》へようこそ。毎回、すてきな偉人さんをゲストに楽しいトークをお
とど
けします。日本で最初に白熱電球
はくねつでんきゅう
をつくり、電気を使ったさまざまな事業
じぎょう
をおこして「日本の電気の父」と
ばれた藤岡市助
ふじおかいちすけ博士
はくし
。国中に電気の明かりを
とど
けようと奮闘
ふんとう
した博士の胸熱
むねあつ
ストーリーだ!

藤岡市助博士、いらっしゃ~い‼

藤岡市助(1857-1918年)。周防国岩国
すおうのくにいわくに
(現在の山口県岩国市)に生まれる。18
さい
で、工部省
こうぶしょう工学寮
こうがくりょう

のち
の工部大学校、
げん
・東京大学工学部)電信科
でんしんか
に入学。27歳のとき、アメリカ・フィラデルフィア万国電気博覧会
ばんこくでんきはくらんかい
でエジソンと会う。29歳で、東京電燈
とうきょうでんとう
(東京電力の前身)の技師長
ぎしちょう
になり白熱電球の研究を始める。33歳のとき、白熱舎
はくねつしゃ
設立
せつりつ
し白熱電球の製造
せいぞう
を開始。53歳で、東京電気社長に就任
しゅうにん
、発電所の建設
けんせつ
尽力
じんりょく
する。
まん
60歳で
くなる。

─小さい
ころ
はどんな子供でしたか?

 私の父は岩国藩
いわくにはん
下級藩士
かきゅうはんし
で、8
さい
から藩校
はんこう
養老館
ようろうかん
」で学びました。学問が好きで、夜も仲間と集まって勉学にはげみましたが、家に電灯などありません。そもそも日本には、まだ電気というものがなかったのです。

―えっ! じゃあ、電気の勉強はどこでしたんですか?

 18歳で上京して、工部省
こうぶしょう工学寮
こうがくりょう
電信科
でんしんか
に入学。当時、電気工学は世界でも最先端
さいせんたん
の学問でありました。明治維新
めいじいしん
で新しい世の中になり、西洋の進んだ技術
ぎじゅつ
を身につけようと必死
ひっし
に勉強して、ついにアーク灯の点灯に成功
せいこう
。アーク灯は放電を利用した電灯で、まばゆい光を放って皆をアッと
おどろ
かせました。これが、わが国で最初の電気の明かりであります。

―それで、次に白熱電球をつくろうと思ったのはどうして

 白熱電球をつくったのは、ある人物との出会いがきっかけです。明治
めいじ
17年、私はアメリカで開かれた万国電気博覧会
ばんこくでんきはくらんかい

まね
かれ、発明王エジソンの研究所を
おとず
れました。そこでミスタ・エジソンは発明品の白熱電球や電話機
でんわき
を見せながら、こうアドバイスされたのです。「まずは自分の国で電気製品
でんきせいひん
をつくりなさい。国の技術を向上させないと、事業
じぎょう
発展
はってん
はありません」。

―エジソン、めっちゃカッコ良い!

 私は大いに発奮
はっぷん
して、この手で白熱電球をつくろうと決意したのであります。白熱電球はアーク灯より安全で、安く大量につくることができます。そこで私はミスタ・エジソンに手紙を書いて、ぜひ白熱電球を送ってほしいと
たの
みました。すると翌年
よくねん
、36
の電球が届いたのです。それを手本に、手探りでものづくりをするのは困難
こんなん
でしたが、5年かけて国産
こくさん
の白熱電球が完成
かんせい
。2本のフィラメントで明るさが切り
わるのは日本オリジナルです。

―すごーい!まさに「日本のエジソン」ですね!

 しかし、つくって
わりではいけません。電球を製品化して国中に電気の明かりを届けるために、次は発電所をつくろう。そしてつくった電気で、今の新幹線
しんかんせん
のような高速
こうそく電気
でんき鉄道
てつどう
を走らせようと考えたのであります!

―ワオ! その情熱
じょうねつ
はどこからわいてくるんですか?

 私は、生涯を日本の電気事業のために
ささ
げると決めていました。電気技術こそ国の
いしずえ
だと信じておったのです。電気を使ったいろいろな発明で、人々の
らしを便利で豊かなものにしたい……それが私の
ゆめ
でした。みなさんも世の中の役に立つことを考えて、夢に向かってチャレンジしてください。

もっと知りたい! 偉人さんエピソードクイズ

最後は、もっと知りたい「偉人さんエピソードクイズ」のコーナー。何問正解
せいかい
できるかな? 挑戦
ちょうせん
してみよう。

Q1
市助が子供のころから得意
とくい
だったものは?
a ピアノ
b 野球
c  英語
えいご》《

Q2
市助と親交
しんこう
のあった日本の発明家は?
a  豊田佐吉
とよださきち

b 2代目田中久重
だいめたなかひさしげ

c 平賀源内《》》》

Q3
電球の他に開発
かいはつ
を手がけたものは?
a 電気洗濯機
せんたくき

b 電動式
でんどうしき
エレベーター
c 電気自動車》《



《》

クイズの答え合わせはこの下をチェック
↓↓↓↓↓↓↓↓





Q1 c  英語
 市助は15歳で岩国英国語学所
いわくにえいこくごがくしょ
に入学。イギリス人の先生から英語や算数、地理など、イギリスの中学校と同じ教科を習った。もちろん授業は全部英語で、2年後には先生の代わりに授業をするほど優秀
ゆうしゅう
だったそうだよ。他にも絵と習字が得意で、好きな言葉は「至善
しぜん
(この上もないよいこと)」。

Q2 a 2代目田中久重
 発明家の「からくり儀右衛門
ぎえもん
」こと田中久重の後を
いだ2代目田中久重は、市助が工部大学校を卒業
そつぎょう
した頃、アーク灯を実用化したいと相談しにやって来た。その熱心
ねっしん
様子
ようす
に、二人は意気投合
いきとうごう
したそうだよ。のちに市助が創立
そうりつ
した東京電気と久重の芝浦
しばうら製作所
せいさくしょ
合併
がっぺい
し、1939(昭和14)年、東京芝浦電気(現在の東芝
とうしば
)となった。

Q3 b 電動式エレベーター
 1890(明治23)年、日本で最初の電動式エレベーターを浅草の凌雲閣
りょううんかく
設置
せっち
。凌雲閣は日本初の高層建築物
こうそうけんちくぶつ
(12階建て・高さ52m)だった。他にも電灯用発電機を設計
せっけい
したり、電気鉄道の会社をつくったり、日本初の取り組みをたくさんしている。東京~大阪間に高速電気鉄道を走らせる計画は実現
じつげん
しなかったけど、東海道新幹線が開通(1964年)する50年以上も前だからすごい!

 みんな、クイズはどうだったかな? 今回はこれにておしまい! さ~て、次回のゲストは? 天文学のレジェンドが登場!「太陽を止め、地球を動かした」男の偉大な功績をたどります。お楽しみに!

戸村悦子 著者の記事一覧

フリーライター。『子供の科学』をはじめ児童教育や科学分野、趣味の雑誌・専門書籍を中心に取材・執筆を行う。

(イラスト/ほりみき)

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