10年前の3月11日、僕は以前勤めていた出版社で、書籍の入稿作業を行うために印刷所の人を待っていました。
夕方ごろに入稿を行う予定で、せっせとその準備を進めていたのですが、突如、それまで体験したことのない大きな揺れを感じ、デスクの下に潜り込みました。
揺れはしばらく続き、社内の本棚からは書籍がバサバサーッと落下。同僚社員の中にはパニックに陥り、泣き出す人も。ひとまず社員全員ビルの外に出ようということになり、デスクから這い出たとき、ふと窓の外へ目をやると、隣のビルの貯水タンクがグラグラと揺れていました。
「これはただごとではないぞ」と感じながらビルの外へ出ると、我々と同じようにビルの外に出てきた人たちが大勢おり、みな不安げな表情でした。しばらくして揺れが収まってからビルの中へ戻りましたが、結局、その後に印刷所の人は現れず、連絡を取ることすらできませんでした。
社員で話し合い、とにかく仕事は切り上げて帰ろうということになりましたが、交通機関は麻痺していたため、帰宅をあきらめて会社に泊まる人もいました。
僕は帰宅すべきか否か、かなり悩んだ挙句、15kmほどの道のりを4~5時間かけて歩いて帰りましたが、その道中、常に「家は大丈夫だろうか?」とかなり心配でした。
というのも、当時住んでいた家が築40年以上の古い一軒家で、老朽化
が激しかったからです。柱を含め、家の中にまっすぐな所が1つも見つからないほど歪んでいたり、窓のすき間から雑草が家の中に侵入していたり、毎晩のように天井裏をネズミが走っていたり……。
「もしかすると、家がペチャンコにつぶれているのではないか……。」
そんな恐怖に怯えながら何とか家に着くと、奇跡的にほぼ無傷。
数冊の本が棚から落ちていただけで、取り立てて被害がなかったことが今でも不思議です。
その後、東北で起きていたこと、福島第一原発のことなどが連日報道され、災害と自然の関係やエネルギーについての議論が活発に行われ、僕自身もいろいろなことを考えました。
そして、考えたことを友だちとよく話し、意見の違いからケンカもしました。
「被災地を見に行くべきか、行かざるべきか」
「原子力発電のしくみはどんなものなのか、そこに原理的な問題はないのか」
「江戸時代やそれ以前の日本人は災害としての自然現象をどう捉えていたのか」
などなど、若気の至りや勘違いも交えながら、思ったことを存分に話しました。
あれから10年、当時問題となっていたことの多くは、いまだに決着がついていません。 そして、今後いろいろな立場の人が納得できる道を見つけるための土台として、「科学と友だちになる」ことの重要性がますます増していると感じます。
『子供の科学』2021年3月号の特集やこのスペシャルサイトを見て、みなさんが思ったこと、考えたこと、今伝えたいことを送ってください。いただいたコメントの一部は、このスペシャルサイトで紹介していきます。