2011年3月11日金曜日。
私はいつもと変わらず、会社に出社していました。
昼休みも終わり、自席で午後の仕事をこなしていた14時46分ごろ、とつぜん建物の全体が揺れ始めます。これまでに経験したことのない異質な、強すぎる揺れが何分も続きました。
当時、私が働いていたのは東京都千代田区神保町にあるオフィスビルの6階。地上からそれなりの高さもあったためか、グワングワンと揺れます。
まわりにうずたかく積まれた資料類が一気に崩れました。フロア内で避難するよう大きな声があがり、急いで机の下に。
あまりの揺れに驚いていた私は、その声がなければ、しばらくそのまま呆然としていたかもしれません。
後方に配置されていた背の高い本棚が倒れてきました。当時AV機器を取り扱う月刊誌の編集をしていたのですが、棚には書籍以外にも、重量のある映像機器など、多くのものが収納されていました。もしもこのときすぐさま机の下にもぐっていなければ、上から落ちてきたものが頭に直撃、あるいは棚の下敷きになっていた可能性もあったと思い戦慄したことを強烈に覚えています。
強い揺れはそのまま5分間以上続いたでしょうか。
ようやく収まったところで、フロアのめいめいは情報収集を始めました。つけられたテレビからは、震源地が東北、おそらく仙台方面であることが伝えられます。
私の実家は山形県。仙台市がある宮城県の隣県です。心配になった私は家族に連絡をとろうとしますが繋がらず。しかし安否が気になり、繋がりにくい状態の携帯で必死になって電話を掛け続けていたことが思い出されます。
のちに、家族の無事は確認できました。被害もさほど大きなものではありませんでしたが、山形では翌日まで停電が続いたそうです。
震災発生直後に体験した状況は上記のようなものでした。
その後私は、麻痺した交通網の回復を待ち、夜中には帰宅。
自宅の状況も惨憺たるものであったものの、週末をはさんで出社し、フロアの片づけなどをして、あくる日にはまた普段通りの仕事に戻っていました。
それから被災地のニュースや、友人、知人の状況を聞くにつけ感じたのは、自分はただただ、たまたま幸運だったのだな、ということでした。それほど、連日心が痛む報道などが続いたのです。
先に書いた、倒れてきた本棚のことを思い出し恐怖することもしばしばありました。一つ間違えれば大きなケガをしていたかもしれないのですから。
とはいえ、2011年3月から10年が経過しようとしている現在、正直なところ、今回こうして回想してみるまで、あの日から持っていた気持ちや感じていたことも薄れてきてしまっていたのも事実です。 あのときとっさにみんなに声がけをしてくれた同僚にあらためて感謝しつつも、当時の状況や気持ちを忘れずに、備えようと、いま強く思うのでした。
『子供の科学』2021年3月号の特集やこのスペシャルサイトを見て、みなさんが思ったこと、考えたこと、今伝えたいことを送ってください。いただいたコメントの一部は、このスペシャルサイトで紹介していきます。