東日本大震災が発生した2011年3月11日14時46分、ツッティーは今と同じオフィスビルの6階で仕事をしていました。古くて細長いビルの6階は揺れがかなり大きくて、揺れているときにビルがゆがむ感じが目視できるほど。鉄枠でできている、大きくて頑丈だと思っていた本棚が大きな音をたてて倒れるのを見て、これはやばいと恐怖で足がすくむ感じがしつつも、必死で机の下に逃げました。大きな揺れが長く続き、東京にいても超巨大地震だとわかりました。
3月11日は大きな余震を警戒しつつ、ネットで情報をチェックしながら、会社でマヒした交通機関が動きだすのを待ってました。地下鉄が動きだしたという情報を得て、できるだけ家の方角に向かって近づいていき、電車が行き詰まってからは歩いて帰宅。深夜になんとか、家にたどり着くことができました。家は東京の郊外でしたが、自宅のほうは地盤が強かったおかげで大きな被害はなく、家族は無事でした。
週明け、3月14日の午後には出社できましたが、予定していた取材がすべてキャンセルになり、果たして雑誌がつくれるのか途方に暮れていました。当時はまだ子供の科学ではなく、「愛犬の友」という犬の雑誌の編集部にいたのですが、東北から関東の沿岸部にいるブリーダーから、たくさんのイヌが津波で行方不明になっていると聞きました。大きな被害にあったのは人間だけではなかったのです。
また、災害救助犬を連れて、東京から東北地方に車で向かう災害ボランティアの情報も寄せられました。しかし、被害はあまりに広範囲で、目的地に到着してもなかなか捜索の担当範囲が決まらないなど、現場はとても混乱していたということも聞きました。
原発事故と放射線の恐怖
大きな余震が1日に何度も繰り返されるのも怖かったのですが、一番の恐怖は福島第一原発の爆発事故でした。震災の翌日、3月12日には1号機が爆発する様子がニュースに流れました。14日は3号機も爆発。風向きが南に向いていたことから、爆発により外部に出た放射性物質が、関東地方へも広がっているという情報が、各地の放射線量のモニター数値とともに報道されました。
このとき、今11歳の息子はまだ1歳。ようやく歩き始めて、少しずつ暖かくなってきて、公園に連れて行って遊ばせたいと思っていたころでした。しかし、「目には見えない放射性物質が降ってきているかもしれない」と考えると、とても外で遊ばせる気にはなれません。
放射線に被ばくすることで、将来、体にどんな影響を及ぼすのか、さまざまな情報が飛び交っていました。何年も後になってから、甲状腺のがんになるかもしれない、白血病になるかもしれない、といったこともいわれていました。被ばくの影響がはっきりわからない以上、子供の命を守るために、ずっと家の中ですごさせていました。新型コロナウイルスの影響で子供たちも外出自粛をした昨年の4~5月、東日本大震災当時のことを思い出した人もいたのではないでしょうか?
街が真っ暗闇になった計画停電
さらに、福島第一原発の事故により大きな影響を受けたのが、電力です。福島原発は、関東地方の電力の要でした。原発からの電力の供給がストップしたことで、3月14日から地域ごとに順番に、3時間ぐらいの停電を行う「計画停電」が行われました。
計画停電が始まると、地域のすべての家やお店の明かり、外灯も一斉に消えて、真っ暗闇の世界が広がりました。計画停電は町単位でグループ分けをして実施されたのですが、グループが違う隣の町には明かりがついていて、こっちとあっちで別世界、といった映像もテレビで見ました。本当に異様な光景です。
計画停電に備えて、懐中電灯やヘッドライトをたくさん買って、家の中を照らしてすごしました。1歳の子供を抱っこしながら、いったいこの先どうなるのだろう、もう東京は住むことができない場所になるんじゃないか……と漠然とした不安が襲って来たのを覚えています。
ひとまず計画停電の措置が解除されてからも、大きな電力需要がある夏には確実に電力不足になるとの危機感から、普段から明かりをつけないで過ごす節電の意識が一気に高まりました。どこのお店に行っても薄暗く、夏になっても最低限の冷房で、いつも汗ばんだ状態……。それでもみんなが節電を心掛けて、停電せずに夏を乗り切りました。
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