『子供の科学2024年2月号』の「ヘルドクターくられ先生のあやしい科学を疑え!」は読んでくれたかな? 本誌では収まりきらなかった、くられ先生の頭の中の徒然考えているお話を、コカネット限定で配信中! 本誌の連載とあわせて楽しんでね。
イラスト/obak(@oobakk)
科学で生まれた問題は科学でしか解決できない
科学とは、自然現象を観察し、構造を理解し、制御する理法である。
この世を変えることができるのは、科学であり、この世界を変えることができることを科学と呼ぶわけです。
昨日までこの世界に存在しなかった科学物質を生み出せば、それは地球史上初の快挙で、それを人間が個人的に成しえるわけです。うわ、すげえ。これが科学の本質です。
科学がなければ、世界は汚染されなかった。科学を否定すれば世界は平和になる?
まぁ……たしかにそれは事実でしょう。
まぁ……いきなり世界から科学が消えれば、平和になるでしょう。
そのかわり、全員が原始時代もびっくりな泥水をすする生活、病原体と寄生虫に全身を蝕まれ、虫歯になっただけで死亡率が5割超え、もちろん食料は足りなくなり、永久に奪い合いと殺し合いの果てに、あらゆる文化を失って原生生物の一部として、クマやオオカミから怯えて暮らすのをヨシとするならば……ということなのです。
科学によって我々は快適で安全な暮らしを手に入れましたし、その快適の上にできた時間で、いろいろなものをつくり発明し、その中に文学や映画、ゲームやアニメなどが生まれてきたわけです。石油の問題提起するのに、石油由来のペンキをぶちまけ、合成繊維の服を着ていては意味不明なわけです。
科学で生じた問題は科学でしか解決ができないのです。
そして科学には善も悪もアリマセン。
……これは闇の科学を正当化しているとか、そういう、セコい戯言ではなくて、例えば毒ガスの研究から、抗がん剤が生まれたり、貝殻の構造を研究していたら防弾チョッキができたり、闇も光もないわけです。
闇か光か、毒か薬か。それは状況と時代が決めることで、科学はただひたすらに進歩することが仕事であり、そこに善も悪もない……というと、無秩序主義みたいな感じになるのですが、逆に言えば、そうあることが科学の本質ではないかと思うのです。
人間と科学のミライ
例えば、今、最もホットな科学の1つに人工知能があります。
ChatGPTはもはや、多くのビジネス面で当たり前のように使われて、会計のマクロを組んだり、ゲームのプログラミング、書くのが面倒な絵を代筆など、10年前には不可能だと思われていたコンピュータに、知性が宿りつつあります。すでにアメリカでは司法試験に9割近い正解をたたき出し、医師が思いつかなかった治療法を未曾有の論文から導き出したりしています。
こうした人工知能はたしかに驚異的です。誰もが仕事を奪われそうな感じもしますし、この発展が良いのか悪いのかも未だに結論がでておらず、AIアートは着々と完成度が高まり、音声応対までが人工知能だよりで可能になりつつあります。人間は不要になるのでしょうか?
当然ここに簡単な答えを出すほど自分は賢くないですし、先見の明もありません。
ただし、例えば1つの国で規制しても、他の国では開発が進み、結果的にそこで生まれたとんでもない成果が出た場合は、競争に負けることになるわけです。
そう、もう規制さえリスクなのです。
じゃあ……どうすればいいんだよ……という声が聞こえてきそうですが、正直、それを判断するのももう人類には難しくなっているのではないかとさえ思います。
科学で生まれた問題は科学でしか解決できない。
結局、今回の問いは、発展し尽くした先でしか見ることができない気がしています。
そして、この回答に帰ってきそうな気がしてならないのですが……、数年後、この文章を読んで「まだそんなことを言ってたのか」になるのか「その通りだった」と言ってるのか、それが気になって仕方アリマセン。
とにかく、このシンギュラリティを生きて見ることになるとは……と毎日ドキドキしています。
文