トキソプラズマは最終的にはネコ科動物の体内で繁殖しますが、その途中で他の哺乳類に感染します。その際に、宿主の行動を変化させることが知られています。例えば、トキソプラズマに感染したラットは、行動が活発になり、開けた空間でも無防備に毛づくろいをし、周囲への恐怖心が減ることが実験で確かめられています。
すると、トキソプラズマに感染したラットはネコを恐れなくなり、ネコに食べられやすくなるのです。トキソプラズマはネコ科動物の体内でしか多様な子孫を残せないので、ラットの行動を操作して、ネコに食べられやすくすることは、トキソプラズマにとって繁殖に有利になります。
トキソプラズマが、野生動物の行動を操作するのかは未解明でしたが、ここ数年、野生動物での研究が相次いでいます。
1つめはブチハイエナです。ハイエナ(ハイエナ科)は群れで行動し、ライオン(ネコ科)とは縄張りや食料をめぐって互いに競争します。ライオンによる攻撃が、ハイエナの負傷や死亡の主な原因です。
ケニアのマサイ・マラ国立保護区での研究では、トキソプラズマに感染した生後1年までの子ハイエナは、感染していない子ハイエナに比べて、より大胆にライオンに近づき、ライオンに殺される確率が高いことがわかりました。
2つめは、ハイイロオオカミ(イヌ科)です。イエローストーン国立公園(アメリカ)に棲むハイイロオオカミの研究では、感染したオオカミは、感染していないオオカミよりも、クーガー(大型のネコ科動物)の縄張りに深く入り込む傾向があること、群れを離れる可能性が11倍も高いこと、群れのリーダーになる可能性が46倍も高いことなどがわかりました。感染によって攻撃的になり、さまざまな行動が変化するようなのです。
トキソプラズマによる野生動物の行動変化は、個々の動物だけでなく、群れや生態系全体にも大きな影響を与えている可能性があります。50年後には生態系への理解がさらに深まっていることでしょう。(文/保谷彰彦)
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